フラッシュバックというのはこういうものなのか?というのを感じるまでの経緯と支えてくれた友達の話
コミュニケーションが取りたかった
今思えばかなり精神的に病んでいた。
2022年11月。
ガクーンっと気持ちが落ちた。
些細な夫婦喧嘩だった。
けど、あの言い方は酷かった。
私は話がしたかった。
他愛ものない話をしたかった。
今日の子供の様子、私の周りであった出来事。
話を聞いて欲しかった。
モラ夫さんに伝えた。
<私たちはコミュニケーション不足やよ。>
<あんたが悪い!>
キレだした。
なんで?私が悪い?話聞いて?
話が出来ないなら聞いてくれる所に行こう。
欲しても叶わないなら相手なら、そうするしよう。
私が義理実家に行き義理家族や義理母の旧友とコミュニケーションを取り仲良くなると
<俺をのけ者にしやがって。そして悪者にするんだろう!>
酷い言葉が返ってきて。どんどん、モラ夫さんは卑屈になっていった。
私が帰る場所は、この場所。自分の家族がいる場所。私は、この場所で安らぎが欲しかった。
モラ夫さんは更に言う。
<家はただ寝るだけの場所。家族の温かさは望んでいない。>
もう限界やった。私は家族が安らげる場所を作る努力、家族を守ってきた。発達障害ADHDのモラ夫さんが生きやすい方法を考えサポートしてきた。
けど、貴方は望んでいないんや。
私はどうしたいいのか分からなくなっていた。
情緒不安定続いて、行動に異変が起こった
どんどん気持ちが落ちていくのを感じた。
それでも私は日中と夜勤の短時間バイト、子育て、家事
寝れない日が始まった。
食欲が湧かなくなった。
突然泣きたくなった。
ずっと頭痛があった。
地に足が着いていない感覚があった。
私は子供らが寝静ってから、声を殺しながら毎日一人で泣いていた。
モラ夫さんは仕事から帰ってきたらご飯を自室で食べ、次は副業するためまた出掛ける。
帰ってくるのは夜遅い時間に帰ってくる。
モラ夫さんとは同じ家に会話がなかった。
何も言わずに出掛けるから、いつ帰ってくるか分からなかった。
話を聞いて欲しいと訴えても、忙しいと言われて聞いてくれなかった。
舌打ちされることもあった。
バイト、子育て、家事を一人でやるしかなく耐えた。
義理家族と仲良くなっていた私はモラ夫さんにとって完全に敵になっていた。
これ以上怒りを私に向けられやないように、刺激を与えないようにするしかなかった。
そして私は更に気分が落ちていった。
不眠、食欲なし、情緒不安定が1カ月も続いたから私の行動に異変が出てきた。
私は家事が出来なくなったいた。
ご飯作りが出来なくなった。
食事の支度は1時間あれば5,6品作れていたのに、1品しか作れなくなった。
食材を切っては横になって休み、また切る。
台所に立っていることが出来んくて椅子に座ってやっていた。
買い物が出来なくなった。
買出しに行こう!と思ってスーパーに行くけれど、何を買えばいいのか分からなくなった。
行き慣れたスーパーなのに、商品の場所が分からなくなった。
セルフレジでお金を払うのに、お金を数えれなくなった。
お財布に入っていた小銭、札ともを全部入れた。
当時自分でも何かおかしいと薄々感じていたけれど、それをどうにかしようという思考に至らなかった。
きっと当時毎日を過ごす事で精一杯だったからだろう。
解放感と消えた頭痛
そんな状態から1カ月経った頃、モラ夫さんは他県へ単身赴任することが決まった。
ホッとて解放される。
と私は感じた。
プチ別居婚が始まり離れて暮らすようになったら、あれだけ酷かった頭痛が知らない間になくなていた。
家事も少しずつ出来るようになった。
ご飯の味もするようになった。
それでも、夜は泣いていた。
市の相談窓口に電話予約する
些細な夫婦喧嘩から私へのモラ夫さんの酷くなる悪態でメンタルが落ち始めた頃に、市でやっている発達障害支援センター相談窓口に電話相談した。
最短相談予約がモラ夫さんの単身赴任後の日に予約が取れた。
しかしそれまで1カ月半も時間があった。
それでも、
専門家の方に私の気持ちを聞いてもらえる!
という気持ちで鬱症状が出ながらも相談予約日までどうにかやり過ごした。
その1カ月半の間にモラハラ言動の過去の出来事、私とモラ男さんの生育歴等をまとめた。
過去の出来事は、自分の日記、幼馴染とのLineのやり取りを見返して時系列にまとめた。
この作業は本当に大変な作業だった。
ずっと感情に蓋をして生きてきた私は、過去に閉じ込めていたネガティブな感情が溢れ出てきてた。
特にモラ夫さんに傷つけられた出来事を思い出しその時の感情を書き出すという作業は、傷口に塩を塗り込むような作業。
苦しかった。
辛かった。
涙流しながら、作業した。
相談窓口での相談は制限時間がある。
全部話すのは難しいと思い、事前に担当者に状況を把握してもらうためにまとめ、相談窓口に送付した。
頭の中で映像が浮かぶ
2023年1月ごろから過去2年間に言われた言葉とその時に向けられた顔、行動がパンパンって映画のワンシーンを切り取ったかのように浮かぶようになった。
なんや?
睨め付けた顔
舌打ちしてきたときの顔
巻き舌でキレられたときの顔
これをフラッシュバックというものだろうか?
映像と共にその時に感じた感情がリアルに感じた。
今までに体感したことがない感じだった。
心療内科に受診するタイミングを逃した
発達障害支援センター相談窓口に電話した時点で心療内科に行くべきだった。
相談しに行った時には時系列でまとめた作業である程度頭が整理されていて、相談内容を客観的に話せれた。
後々担当者に言われた。
<受診するタイミングはあの電話くださった時ですね。>
相談予約をした時泣きながらで、まとまりがないまま電話だった。(らしい←担当者談)
医療機関にかかってないので、これをフラッシュバックと言うものなのか分からないけど、当時あった。
フラッシュバックが現れると、一気に俯きになり、
私はダメな人間なんだ。ほんまにあかん。
そうとしか考えられなくなってしまっていた。
価値がない人間。
無力感。
涙がボロボロ流れて、止めることが出来ない。
これは一瞬の出来事でさっきまで笑っていたのに一気に落ちてしまっていた。
自己肯定感がだだ下がるのを感じた。
自分自身が小さくなっていく怖い感覚だった。
周りの人に頼ること
私達夫婦を近くで見てくれていた友達は先日お茶している時に言ってくれた。
<この人は私がしっかり守らないと!というのを感じとった。なんで、そこまで背負うんだろうと思っとったよ。まるで彼のお母さんのように感じやった。>
そしてその後こう言ってくれた。
<よくあの状態(鬱状態)からここまで立ち直ったな。まだまだやろうけど、貴方は幸せになるべき人やよ。>
涙がポロリしそうやったけど、ギャラリーが多いカフェのため堪えた。
一昨年の11月は、同じカフェで我慢していもポロポロ涙を流していた。
私の周りには私の気持ちに寄り添ってくれる友達が少ないけどいてくれる。
今まで勝手に背負っていた長子気質のイメージを捨て、寄り添ってくれた友達にさらけ出した。
ボロボロの私を優しく見守ってくれて必要時は話を聞いてくれた。
だから、どうにかここまでこれた。
寄り添ってくれた友達には感謝。
それまでずっと私の課題だった、周りの人に頼るが少しは出来始めていた。
ありがとう。
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