この回最終。
よー言った!私
2023年11月。
単身赴任で他県で働き始めてもうじき1年となる。
最長で3年間はフリーランスになるために時間が欲しいと言われていたのがいつの間にか6年間と言われた。
だから、私は数年このまま別居なんやろうなぁと思っていた。
が、またまた突然。
<契約満了終了しました。期間満了まで日にちがあるので探します。>
Lineで来た。
私は、心臓がバクバクした。
職が変るのは慣れていて次の仕事の心配はなかった。
そんな事より、
<<まさか、私のまだまだ回復してない精神状態の所で再び同居生活スタート?!>>
朝イチに来たLineで私は慌てまくった。
考えまくった。
想像しまくった。
そうしたら、気持ち悪くなってきてしまった。
<<子供と自分を守るには一緒に住むことは今は無理!>>
という答えが出て、Lineが来た3時間後ぐらいに直接電話で話をした。
話し始めたら、普通にアパートに戻るような話をしていた。
心臓バクバクしながら伝えた。
今の私の精神状態で夫と同居するとまた鬱症状が出てきて子育てが出来なく不安がある。
だから、申し訳ないが別居くらしを継続でお願いします。
別居はあくまでも状態私の精神状態が良くなるまでの話。
モラ夫さんから、どういう反応がくるか怖かったけど、思いのほか穏やかに受け入れてくれた。
<愛しているから別居しよう。>
そんなサイトが送られてきた。
名義を変えてくれ要請
一先ず私のアパートという安全地帯は守られた。
ホッとした。
どうしても譲ったらあかん事やった。
今戻ると、少し良くなってきた精神状態が元に戻ってしまうと感じた。
いつもお世話になっている相談窓口の担当者さんも、
<契約満了後の一時帰宅でも同居は避けた方が良い。>
とアドバイスをもらった。
強い意志を持って接しやな、惰性で同居が始まてしまうかもしれん。
そんな気持ちがもしかしたら、言動にでたのかもしれん。
すんなり別居を受け入れてくれた4日後に、
<アパートの名義変更だけはお願いします。勿論引き落とし口座はそのままでお願いいたします。借主なのに帰れないのは理屈や法的におかしいので。これで別居婚もスッキリします。 貴方の責任で以後、管理してもらえればです。 それは貴方にとってもプラスなはず。今後もアパートに関しても堂々と発言できるので。 >
私は、またこの言葉で調子を崩してしまった。
月に数万円しか働いていない私に名義変更なんて出来るわけがない。
ほんまに嫌がらせにとしか考えられんかった。
私は反応できんかった。
シングルマザーの友達から
夫婦で話し合って、モラ夫さんがお金を稼ぐ、私は子供の面倒を見てバイトぐらいの働き方すると決めた。
単身赴任になったのは、モラ夫さんは一人になればどれだけでもお金を稼げると言ったから単身で頑張ってね、私は一人で子育て、これも夫婦で話し合って決めた事。
でも、単身赴任したけど実際は家計が苦しくて、
<アルバイトに行く回数増やせないか?>
とモラ夫さんに頼まれた。
私はメンタルがまだ不安定で増やすことが現状難しいと伝えると、
<シングルマザーの友達とかいたらアドバイスとかありそう? >
<<あのー私シングルマザーではありませんが。。。>>
またメンタルがおかしくなった。
<気を悪くさせたのは悪いが意気込みと現実は違うから、俺たちだってそうなったでしょ。調子を壊したのは俺のせいと言いたいだろうし、実際そう思う。だけどいい加減切り分けたものの考えしなければ共倒れのリスクだってある。>
1カ月間は俺の時間
そのあとも、つらつらと自分も過去に鬱になった話、精神疾患で苦しんだ話を綴っていた。
モラハラをされた相手にそんなこと言われても、余計辛くなるだけやった。
私はモラ夫さんと話をすればするだけ、メンタルやられてしまう。
もう何も反応することができんかった。
私はまだまだメンタル不安定な状態の中、モラ夫さんは無職になった。
<<ほんまに別居を選んで良かった。>>
次の仕事先は1カ月先。
何故モラ夫さんは、そんな先にしたのか。。。
<1カ月間は全部自分のために時間を使いたい。その時に稼いだお金も自分に使いたい。>
時間とお金は自分のものだ!を主張。
契約期間満了でボーナスが入るからしばらくそれで生活をして欲しい。
無職中にバイト等で収入があった場合、失業手当も全部自分に使いたい。
<<貴方、家族持ちですが。。。時間も、お金も欲しいって。。。>>
私はどうにか家計を切り詰めてやりくりした。
ここまで来たら、家族って一体なんなんやろう。。。
人生初インフルエンザ
長女が発熱。
それから次々と私、次女と、インフルエンザにかかった。
誰も頼るらず3人で乗り越えた。
私は意地を張っていた。
<<絶対どうにかしてやる!>>
自分が熱が出始めた時、辛すぎて泣いていた。
子供に薬を飲ませやな。
少しでも何かを口に入れてあげやな。
かつてない程に自分が健康であることが有難いものと感じた。
どうにか2週間程引きこもり生活をして3人で乗り越えた。
長女が早くに回復したから、買出し、家事をしてくれた。
お手伝い出来る子に育ってくれて良かったとしみじみ感じた。
病気になっても3人なら助け合って生きていけると大袈裟やけど思った。
少しずつ私は3人でも生きていける自信をつけていった。
モラ夫さんは私たちがインフルエンザ闘病中に無職になり、自分の両親が住む実家に戻り一人の時間を過ごし始め、完全な別居婚がはじまりました。
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