学び学びが多かったこの数年。だから今がある。
おばさんの言葉から始った
振り返ってみようシリーズ①、②、③、④。
なかなかなもんやなぁと改めて感じる。
よくもこんな中、私は一人で子育てをしてきたなぁ。
自分を褒めよう。(*’▽’)
今から2年ほど前、義理母の旧友(おばさん)さんが私と娘らを気にかけてくれ、声を掛けてくださった。
<Ihanomiさん、子育て一人でしてるやろ?旦那さんは仕事続かない中、よくも頑張っとるな。身体と心を壊さんようにね。>
一度たりともおばさんにモラ夫さんについて愚痴ったことも私の弱い部分を話したことなかったのに、声を掛けてくださった。
<<あー、この状況やっぱり大変なんや。言わんでも分かる人には分かるんやな。>>
そんなことを思いながら、
<心配ありがとうございます。相変わらずですね。でも、一人で子育て自分のしたいように出来てるから楽しいです。>
笑顔で応えた。
でもなぁ、なんとなく引っかかった。
<<私、無理してへんか?>>
そこから、私の心はガタガタと崩れていった。
モラハラだけではなく転職大好き
おばさんが言った通り、モラ夫さんは仕事が続かん。
長女が生まれた時は、なんと無職。
私とモラ夫さんとの幾度となく話し合った結果、
決まった金額の生活費を入れてくれたら、正社員じゃなくても良い。
しかし、社会保険加入はお願いします。
お互いの折り合う策を見つけてから極力仕事について何も言わないようにした。
それからも、どれだけ職を転々としたんやろうか。
不安定な家計でやりくりしながら、子育てをしてきた。
モラ夫さんは猪突猛進の性格のため、一日中頭はお金を稼ぐ事ばかり。
私は子育て、モラ夫さんは稼ぐ。
それで良かった。
仕事で落ち込んでいたら、夜遅くまで話を聞いて二人で打開策を考えた時もあった。
それは、夫婦だから私は当たり前だと思ってやっていた。
でもなぁ、いくら遅くまで話を聞いてもあかんときはあかんのよ。
<今日で仕事来なくていいと言われた。>
<来月で終わりと言われた。>
こんな言葉何回聞いたんやろうか。。。
私は、それでもモラ夫さんを信じ続けた。
何故かは、一生懸命にやっていたから。
定職につくのが難しいモラ夫さんの話を聞いた幼馴染はぽつりと言った。
<旦那さん転職が趣味なんやな。>
私の心は疲弊する
モラ夫さんの仕事の話は、家計を支える収入源やから真剣に話を聞く。
モラ夫さんの精神面も考慮しながら、話をしていた。
でもこんなんが、1回、2回じゃないから私の心はどんどん疲れていった。
モラ夫さんを支え、私は一人で子育てしていた。
<<いつ仕事決まるんやろうかなぁ。>>
<<今の仕事続くのかなぁ。職場の人と上手くやっていけるかなぁ。>>
私は、モラ夫さんの仕事の事を心配ばかりしていた。
だから、モラ夫さんの家庭外の一個一個の言動で一喜一憂、転職するたびにどんどん私の心は疲弊していった。
そうなん、モラ夫さんの転職の事を私事として捉え過ぎていた。
人のためになる
私は親しい人の悩みを自分事のように捉え過ぎる癖があった。
それは、愛があるが故にそうしてしまうと思っていた。
でも、ちゃうんよね。
本人たちが問題意識ないのにガヤガヤ周りが騒いでも意味はない。
だって、本人たちは困ってないから。
自分が問題として意識し、自分で考えて、行動して初めてその問題と向き合える。
問題意識してない相手に、私がする事は何もない。
そっと見守る。
それがその人のためになる。
そうじゃなければ、本人たちの学ぶチャンスを奪ってしまう。
愛情と思い込んでいたこと手放してみよう。
本人たちを私がどうにかしてあげたいと思っていた感情を手放してみよう。
静かに見守ることが、大きな愛情のように感じた。
こうやって、私が勝手に背負い込んでいたものを一つずつ手放す作業をした。
今だから、手放せる。
そして手放したら、新しいものが手に入る。
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