長女が生まれてから、ワンオペ育児。妊娠期の話。
悪阻の理由はこれか!
今住んでいる場所は、地元ではないから知り合いがいない。
その中での妊娠、出産。
悪阻が凄かった。
食べれない、眠れない状態がずっと続いて妊娠初期から睡眠不足。
産後は2時間おきの授乳。
悪阻の吐き気がなくなった私の身体は、睡眠不足なんてなんてことなかった。
妊娠期ずっと2時間ずつぐらいしか寝れてなかった。
<<妊娠期の寝れやんだのは、この授乳のためか!>>
と思ったぐらい。
よく聞く、
授乳で眠れなくて辛い。
というのには全くならへんだ。
それは、妊娠初期からずっと睡眠不足やったおかげやな( ´∀` )
私は育てられるんやろうか?の不安
モラ夫さんは、発達障害ーADHDー注意欠陥多動性障害と診断されており、遺伝的要素が強いと知っていたから、
<<もしモラ夫さんと同じ気質をもった子が生まれてきたら私は、我が子に向き合って育てられるのだろうか?>>
と、妊娠してからずっと不安でめちゃ情緒不安定やった。
モラ夫さんのことを当時はしっかりサポートをしていた私は、もう一人サポートをする必要がある人間が増えると私どうにかなってしまうんじゃないかという不安があった。
あんなに待ち望んだ妊娠なのに、母子手帳貰いに区役所に行った時は不安がいっぱいで区役所で泣いた。
<私、育てられますか?>
区役所の方に聞いていた。
優しく
<大丈夫ですよ。初めての出産は誰もが不安ですから。>
とおっしゃってくださった。
ママになりたい!と強く強く望んでいたのに、
<私は育てられるのやろうか?>
という不安な気持ちで押しつぶされそうやった。
産院の助産師さん指導の時にも同じ質問をした。
<発達障害のパートナーさんを持つ方は、優しいママさんパパさんになるから大丈夫ですよ。>
この言葉に私は凄く説得力があり、ずっと抱えていた不安が軽くなったのを覚えている。
ハッピーマタニティーライフに憧れていた
私の妊娠は、ハッピーマタニティーライフと程遠いものやった。
当時のモラ夫さんの仕事は配送業で早朝から夜遅くまで働いていて、私は一人ぽっちで寂しかった。
お腹のBABYを何も感じられやん妊娠初期は、ほんまに辛かった。
胎動を感じられるようになるとあったかい気持ちになって、一人家にいても寂しいという気持ちが薄らいでいった。
少しずつ外出できるようになってきたら、産院でやっているマタニティーヨガに参加したり、市が開催していたプレママセミナーに参加したり出産、育児に関しての情報を集めまくった。
母子手帳には沢山の印が押されている。
スタンプラリーのノリで欄をいっぱいにした( ´∀` )
臨月になると、お腹が圧迫されてまた食べれなくなった。
よく聞いたハッピーマタニティーライフは私にとってほんのわずかの時期だけやった。
でも、あの大変やった妊娠期があったから今好きなものが好きなだけ食べられて、寝たい時に眠れるっていう事に有難みを感じられる。
そして、この妊娠期を経てママになる心の準備が出来てきたと思うと、必要やったんやろうなぁ。
生命の誕生はほんまに神秘!
どこかで情報を入手した、
バースプランを立て産院に渡す
しっかり立てて渡した。
お気に入りの音楽をまとめたCDも用意した。
けど、お産中にそんなかける余裕なんてなかった( ´∀` )
生命の誕生はほんまに神秘で尊いモノ。
妊娠、出産、こんな命がけの凄いことをママになった全てのママはしとるんやなぁと思うと尊敬という言葉では足りやん気持ちが湧いてきた。
今私は、2人の可愛い娘のママ。
私の元に生まれてきてくれてありがとう。
貴方たちに出会えて、ママはほんまに幸せや。
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