モラ夫さんと別居婚にいたるまでの話。これまた壮絶やよ( ´∀` )
彼に振り回されていた私、ちゃうちゃう。。。
私はモラ夫さんの生き方に振り回された。
というか、勝手に彼の人生を背負っていた。
お付き合い当初から少しの違和感があったけど、
<<気のせいかな。自分が悪いのかな。>>
と思い直し、一緒に過ごしていた。
転職を繰り返す彼。
<<私が頑張れば大丈夫。>>
妊娠するまで、そう思っていた。
<<彼は一生懸命にしている。少し不器用なだけ。>>
健気に彼を支えていた。
自分でもそう思う。( ´∀` )
妊娠してからも、転職。
出産時には無職。
それでも、
<<頑張ってくれる。子供が生まれたんやから変わってくれるはず。>>
私は内職をして、節約して、転職を繰り返すモラ夫さんのお給料でどうにかやりくりしていた。
いつか走り出す宣言
彼は自分自身で起業したいという想いがずっとあり、常に起業することを模索していた。
家族を養うために派遣社員として働き、空いた時間は起業するために動く事に全ての時間を費やしていた。
<俺はいつか走り出すから、その時は頼む!>
つまり、
俺が起業するときは応援をしてくれ!という意味だろう。
<<ただでさえ私はワンオペ育児をしていたのに、更に私に求めるんか?>>
転職繰り返す彼と、家計の不安がある私。
そして、ワンオペ育児。
そんな私の居場所は子育て支援広場やった。
毎日広場に行っていた。
信頼できる保健師さん出会えた。
<貴方は、いつも頑張ってるよ。>
といつも保健師さんに声を掛けてくださった。
私はその方々のお陰でワンオペ育児でも心身のバランスを保れていたと思う。
孤独な子育て、更に週末婚提案?!
モラ夫さんは、家族を養うため仕事をし、空いた時間は自分のやりたい事をするから私の話を聞く余裕なんてなかった。
<忙しい。疲れている。眠たい。>
モラ夫さんに、子育ての相談をする事はなかった。
いつも孤独やった。
けど、人間って柔軟性があるんやよな。
ずっとその状態が続くと慣れちゃうんよ。
子育てについて、自分で考えてやっていた。
悩みがあれば、その広場の保健師さんに相談していた。
ワンオペ育児でもなんとも思わんくなってきていた。
<<私は私やで、大丈夫。>>
それでも、自分の子供の面倒は少しぐらいはして欲しい。
子育てに巻き込めるように彼に声掛けをしていた。
<私、手が離せれやんからオムツ替えてくれやん?>
<ちょっと泣いてるで、あやしてくれやん?>
そんなん言っていたら、
<俺は週末婚がいい。俺の性格上それが最高な結婚やと思う。>
私は泣いた。
長女が1歳半頃の話。
意味が分からん。
後日、謝罪の手紙をくれたけどこの頃から別居婚の希望はあったんかもしれんと今振り返ると思う。
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