①の続。私は私を生きるために、色んなものを手放し始めた話。
私は妻ではなくおかん?!
子供を連れて数年ぶりの地元へ帰省。
宿泊先は幼馴染宅。
幼馴染宅で迎えた朝。
ソワソワしていた私。
<どうしたん?>
<いやー、電話しても起きへんからさ、大丈夫かなって思ってな。>
<なんで、起こすの?>
<起こしてと言われたから。>
<自分で起きるやろ。>
<いつも起こしとるんよ。>
<えーーそこまでしとるん?やっとることおかんやん。>
そうなんよ。
私、出掛け先でも彼の事を常に気にしていた。
ちゃんと起きたかな?
ご飯食べたかな?
洗濯物、洗濯機に入れたかな?
とかとか。
今思えば不思議な事していたなぁ。
それから、普段の私のしている事を幼馴染に話した。
<やりすぎやろ。大人やん。ほっとけばええやん。>
確かに。。。
私は知らん間に彼の母親をしていた。
2人の子育てしながら、産んでもない大きな大人の身の回りの事をしていた。
幼馴染の言葉で、気づかされた。
<<けど、どうやったらほっとけるん?>>
私は私でいたい
習慣づいてしまった彼への私の行動を変えてくには大変やった。
まずは、朝起こさない事から始めた。
それを、彼に伝えるのもしんどかった。
もし聞かれたらどうしようっと考えた。
今までやってくれていたのに、どうしてしてくれやんの?と返される事にどう返したらええか分からんだ。
<貴方は子供じゃないから自分で起きれるやろ。>
そんな風に言えば良かったけど、当時の私にとってはこの言葉を言う事が難しいことやった。
それから、色々と手放し始めた。
発達障害ーADHDーの彼は毎日の服薬がかかせれん。
私が服薬管理もしていたから、自分でさせた。
籠りきっている自室も、極力入らんようにして掃除もさせようと仕向けた。
手放し始めてから3年近くなる。
当時、彼にどんな事を私がしていたのか思い出せれやん。
でもこれだけは覚えとる。
手放す時には苦痛が伴った。
人は変わる時こんなにエネルギーがいる事を知った。
過去のブログには少しずつ手放した事を綴ってある。
人は変化を求めるけど、実際しようとするとエネルギーが必要やから変化を恐れる。
私もそうやった。
<<私は私だけの事、私がしたい事だけを考えたい、したい!>>
と思っていても、それまでもお節介焼きの思考癖がなかなか取れやんだ。
私の存在価値
私は好んで彼の身の回りのサポートを妻としてではなく、それ以上の事をしていた。
<<私がいなくなってまうと彼はどうにかなってしまうんじゃないか。>>
そんな風に思って、サポートをしていたんやろうな。
ある意味、彼へのサポートが私の存在価値みたいなのを感じていたのかもしれやん。
けど、子供が生まれたら彼だけを見ているわけにはいかん。
命を掛けて産んだ子を見ていかないかん。
私は本当の母親になっていった。
彼は妻の私が徐々に本当の母親になっていくことに、もしかしたら違和感を感じたかもしれやん。
<なんで、俺にしてくれへんの?>
って。
大人の彼が抱える問題は彼の問題。
手放す前は、一緒に悩み苦しんだ。
必要であれば夜中まで二人で話し合った。
話す内容は大体、彼の職場の人間関係。
<<私が聞いてあげて、良い方向に進んでくれたらええなぁ。>>
だから、時間がなくても悩んでいたら聞いていた。
落ち込んでいた時は、
<大丈夫やよ。>
って抱きしめた。
<そうなんやね。>振り回されない
けど、発達障害の彼は相手の気持ちを汲み取るというのが苦手で転職する度、いつも同じ問題にぶち当たる。
いつしか、私は彼との生活に疲れていた。
彼の問題に一喜一憂することを止めよう。
手放そう。
この一喜一憂しないというのが一番辛かった。
良い話があっても、良くない話があっても、
<そうなんやね。>
で終わらせた。
それまでは、気持ちに寄り添って一緒に喜び、悲しむ事をずっとしてきたのに急にそんな態度に変えるのは苦しかった。
でも、自分のメンタルを安定させるにはそれしかなかった。
彼の問題を私が一緒に背負っていた頃は、子育てに影響があった。
イライラして子供らに当たっていた。
人間関係が原因で転職続き、不安定な家計、それをサポートしながらワンオペ育児。。。
<疲れた。眠い。>
と言って、彼は私の話は聞いてくれん。
こりゃしんどくなるわな。
長女が今となって言う。
<まま、ぱぱといっしょにいたときはいつもいらいらしていたよな。>
子供らは見ている。
今は穏やかに暮らせとるってことやね。
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